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ユニセックスを再考する

要旨

本稿は、ユニセックス・ファッションを単なる「男女兼用服」または「性差を中和した衣服」としてではなく、身体、記号、制度の三層にまたがる実用的自由の問題として検討する。従来、ユニセックス、ジェンダーレス、ジェンダーニュートラルと呼ばれる衣服は、しばしば性別記号を弱める中性的な色彩、シルエット、サイズ設計によって理解されてきた。しかし本稿は、ユニセックスの核心を無性化だけに置かず、性別記号の再配置にも見出す。

本稿では、ユニセックス・ファッションにおける二つの記号戦略を区別する。第一は Code-Switching であり、ドレス、レース、ヒール、軍服的構造、テーラリングなど、男性的または女性的と読まれやすい服飾記号を、それまでとは異なる着用者、役割、場面へ移す実践である。第二は Code-Diffusing であり、性別記号を希釈し、着用者が過度に男性または女性として読まれない余地を作る実践である。両者は対立するものではなく、表現の強さと日常的な安全性を異なる方向から支える補完的な技法である。

さらに本稿は、服飾史の検討を通じて、「男性的」「女性的」とされる記号が自然で不変の分類ではなく、時代、階級、権力、市場によって移動してきたことを示す。したがって、性別記号の再配置は単なる逸脱ではない。それは、歴史的に変化してきた服飾コードを、現代の身体、生活、制度のなかで再び組み替える実践である。

ただし、記号の再配置や希釈だけでは、衣服の自由は実装されない。肩幅、胸囲、腰回り、股上、前開き、胸部支持、衣服圧などの被服人間工学的条件は、着衣快適性、安全性、心理的ウェルネスを左右する。とくに下着、制服、ビジネスウェアでは、身体部位と機能が性別カテゴリーに強く結びついてきたため、ユニセックス設計は身体差を否認するのではなく、性別に還元せずに身体差を扱う技術として構成される必要がある。

また、学校規則、職場ドレスコード、売場分類、電子商取引サイトの検索フィルター、サイズ表、返品制度は、衣服の選択を可能にも困難にもする。望まない服装規定や不十分なサイズ情報は、羞恥、不安、説明負担、買い物回避を生み、とくに性別化された規範に適合しにくい人々には社会参加上の負担にも接続しうる。したがって、ユニセックス・ファッションを実用的自由として成立させるには、個人の勇気や例外的な表現に依存するだけでは足りない。身体適合性を備えた設計、性別に依存しない規範、寸法にもとづく商品情報、選びやすい売場や検索の仕組みが必要である。

以上より、本稿は、ユニセックスを「性を消すこと」ではなく、身体を否定せず、性別記号を固定せず、制度と市場を通じて選択を日常的に可能にする衣服環境として位置づける。

1. 序論:ユニセックスを「自由」の問題として捉え直す

本稿の目的は、ユニセックス・ファッションを単なる「男女兼用服」や「性差を消した服」としてではなく、個人が自らの身体、生活場面、心理的安全に応じて衣服を選択できる条件として捉え直すことにある。ここでいうユニセックスとは、男性用・女性用という二分法に限定されず、複数の身体と複数の表現に開かれた衣服およびその利用環境を指す。ジェンダーとは、身体的特徴そのものではなく、社会のなかで男性的または女性的と読まれる行為、外見、役割、記号の組み合わせをいう。したがって、衣服は身体を覆う実用品であると同時に、社会的な性別記号を配置する媒体でもある。

本稿が重視する自由は、特定の政治的立場への同調を求める自由ではない。それは、誰もが身体適合性の高い衣服を選び、不要な苦痛や不利益を避け、日常生活を安定して送るための実用的な自由である。この意味で、議論の基礎は三つに整理できる。第一に、個人の選択の自由である。衣服は日々の生活に不可避に関わるため、身体、職業、年齢、文化、好みに応じて選べることは、生活上の基本的利益である。第二に、危害回避である。服装規定、売場分類、サイズ体系が過度に硬直すると、着用者は身体的不快、羞恥、不安、差別的扱い、ハラスメントのリスクにさらされる。第三に、ウェルネスである。ここでいうウェルネスとは、疾病の有無だけでなく、衣服に関わる着衣快適性、すなわち衣服着用時の快不快の状態、心理的安心感、社会参加のしやすさを含む広い生活上の健康状態を意味する。

この観点から見ると、「誰でも着られる服」という表現は、それ自体では十分ではない。衣服が本当に自由を広げるためには、少なくとも三つの層が同時に検討されなければならない。第一は身体適合性、すなわちフィットである。身体適合性とは、衣服の寸法・形状・支持が着用者の身体寸法、姿勢、動作にどの程度適合するかを指す。肩幅、胸囲、腰回り、股上、下着構造、素材の伸縮性などは、着用者の着衣快適性と安全性を直接左右する。第二は記号操作である。色、シルエット、装飾、歴史的参照、売場名は、着用者がどのように読まれるかを左右する。第三は制度上の許容である。学校、職場、冠婚葬祭、小売店、電子商取引サイトの分類、法的保護は、衣服選択の可否を実質的に決定する。ユニセックスの自由は、服そのもののデザインだけでなく、それを選び、購入し、着用し、評価される環境によって成立する。

この問題は、ファッション研究においても社会理論においても重要である。Entwistle は、衣服を身体と社会秩序が交差する実践として捉え、身体は常に社会的に装われると論じている(Entwistle, The Fashioned Body, chs. 1-2)。Kaiser and Green も、ファッションを生産、流通、消費、規制、主体形成が絡み合う身体化された文化実践として扱い、性別だけでなく階級、人種、年齢、身体差などが交差する場として記述する(Kaiser and Green, Fashion and Cultural Studies, chs. 1-2)。また、Butler のジェンダー・パフォーマティヴィティ論は、ジェンダーを内面の本質の単純な外化ではなく、反復される行為と記号の効果として理解する視点を与える(Butler, Gender Trouble, ch. 3; Bodies That Matter, “Critically Queer”)。さらに Butler は、規範からの逸脱を抽象的な解放としてだけでなく、どのような規範が生活可能性を支え、また損なうのかという問題として論じている(Butler, Undoing Gender, chs. 1, 10)。ただし本稿は、理論的議論を政治的主張の優劣へ還元しない。むしろ、衣服が人の身体感覚、自己認識、社会的安全に関わる実践である以上、どのような設計と制度が不必要な負担を減らし、日常的な選択肢を増やすのかを問う。

そのため本稿では、ユニセックス・ファッションを二つの記号戦略から分析する。第一は、Code-Switching である。これは、性別記号を消すのではなく、ドレス、レース、ヒール、テーラリング、軍服的構造などの既存コードを、それまでとは異なる着用者、役割、文脈へ移し替える実践である。ここで重要なのは、単に「女性服を男性が着る」または「男性服を女性が着る」という事実ではない。むしろ、ある記号が特定の性別に自然に属するかのように扱われてきた状態を緩め、着用者が表現の範囲を選び直せる点にある。

第二は、Code-Diffusing である。これは、パーカー、Tシャツ、スニーカー、ワイドパンツ、直線的なシルエット、装飾の少ない色彩設計などを通じて、性別記号を薄める実践である。この戦略は日常生活に入り込みやすく、職場や学校でも比較的利用しやすい。しかし、「中性的」とされる服が実際には男性服を基準にした再ラベル化になったり、身体線を強調しないオーバーサイズ設計がフィット不全を生んだりする可能性もある。したがって、Code-Diffusing は中立そのものではなく、被服人間工学と市場設計を伴ってはじめて実用的な自由になる。

本稿の中心命題は、ユニセックスの自由は「性を消すこと」だけでは達成されない、という点にある。性別記号を希釈することも、性別記号を再配列することも、いずれも有効な道でありうる。しかし、どちらの道も身体適合性、心理的安心、制度上の許容を欠くならば、自由は理念にとどまる。ゆえに本稿は、ファッション史、記号論、被服人間工学、被服心理学、制度設計を横断しながら、ユニセックスを「身体を否定せず、記号を固定せず、選択に伴うリスクを減らす実践」として検討する。

2. 理論枠組み:二つの記号戦略――Code-Switching と Code-Diffusing

本章では、本稿全体の分析枠組みとして、ユニセックス・ファッションを二つの記号戦略から定義する。第一は Code-Switching であり、性別化された服飾記号を弱めるのではなく、別の着用者、身体、役割、文脈へ移す実践を指す。社会言語学における code-switching は、会話のなかで二つ以上の言語体系または下位体系を切り替える現象として論じられてきた(Gumperz, Discourse Strategies, ch. 4)。本稿はこの概念を服飾へ直接適用するのではなく、性別化された記号体系間の移動を示す比喩として用いる。第二は Code-Diffusing であり、性別記号を希釈し、読みを一方向に固定しにくくする本稿の便宜的分析概念である。ここでいう記号戦略とは、衣服、色彩、シルエット、素材、装飾、売場名、身体の見せ方を通じて、男性性または女性性として読まれやすい要素をどのように扱うかという方法を指す。両者は、性別化された衣服の自由をめぐる対立する立場ではなく、異なる生活場面と異なる心理的要求に応じて働く補完的な実践である。

本稿で身体と性別の関係を述べる場合、それは身体を生物学的本質として男性/女性へ二分することを前提するものではない。「男性的に読まれやすい身体」「女性として制度的位置づけられる人物」「メンズ売場を想定した身体型」などの表現は、作品内設定、市場分類、制度上の扱い、または社会的読解においてそのように位置づけられる身体や人物を指す。出生時に割り当てられた性別、本人の性自認、他者からの社会的読解、売場分類、作品内設定は一致するとは限らない。したがって以下では、性別コードの移動を論じる場合にも、可能な限り、身体形状、制度的位置、自己認識、社会的読解を区別して記述する。

本稿における分類は、作品や商品が自ら「ユニセックス」と名乗るかどうかだけで決めない。第一に、ドレス、軍服、制服、髪型、メイク、身体線、すなわち衣服表面に現れる身体輪郭、役割、呼称などの記号が、従来それと結びつけられてきた性別カテゴリーから別の着用者、身体表現、または制度的位置へ移される場合を、Code-Switching とみなす。第二に、性別読解が単一方向に確定せず、衣服、身体、職能、代名詞、プロフィールの空白などによって男/女のいずれにも回収しにくい状態が作られる場合を、Code-Diffusing とみなす。第三に、両者が混在する事例では、どちらか一方に機械的に分類するのではなく、どの記号が再配置され、どの記号が希釈または拡散されているかを分けて記述する。この手続きは、日本の漫画・アニメ・ゲームの事例を扱う第4章・第5章でも同じく用いる。こうした方法は、服を固定した物ではなく、身体、流通、消費、規制、主体形成のあいだで意味を変える実践として扱うファッション文化研究の見方に基づいている(Kaiser and Green, Fashion and Cultural Studies, chs. 1-2)。

Code-Switching とは、性別記号を消すのではなく、むしろ意識的に強く用い、その記号を別の着用者、役割、文脈へ移し替える実践である。たとえば、男性として読まれやすい身体にドレス、レース、ヒール、透ける素材、曲線的な装飾を組み合わせる場合、そこで起きているのは単なる「女性服の着用」ではない。同様に、女性として制度的位置づけられる人物に構築的なスーツ、軍服的な肩線、ワークウェア、権威的なテーラリングを組み合わせる場合も、単なる「男性服の着用」ではない。重要なのは、ある記号が特定の性別に自然に属するかのように見える状態をいったん切断し、別の着用者、役割、場面へ再配置する点である。

この視点は、Butler のジェンダー・パフォーマティヴィティ論と接続する。パフォーマティヴィティとは、ジェンダーが内面にある本質の単純な表出ではなく、反復される行為、身振り、言葉、装いの効果として成立するという考え方である(Butler, Gender Trouble, ch. 3; Bodies That Matter, “Critically Queer”)。この立場から見ると、衣服はすでにあるジェンダーを外側に表示するだけではない。衣服は、身体を社会的に読ませる反復的実践の一部であり、ジェンダーを構成する媒体でもある。したがって、Code-Switching は、ジェンダーを否定するというより、ジェンダー記号の所有関係を組み替える実践として理解できる。

これに対して、Code-Diffusing とは、性別記号を濃く使い直すのではなく、希釈し、拡散し、読みを一方向に固定しにくくする実践である。パーカー、Tシャツ、スニーカー、スウェット、ワイドパンツ、直線的なコート、装飾の少ないベーシックな色彩設計は、その代表例である。これらの衣服は、着用者を強く男性的または女性的に見せるよりも、性別の読みを後景化し、身体が社会的視線に過度にさらされない状態を作りやすい。その意味で、Code-Diffusing は、学校、職場、買い物、移動など、日常生活のなかで利用しやすい自由の形式である。

ただし、Code-Diffusing は中立そのものではない。中性的とされる服が、実際にはメンズウェアを基準にして作られ、それを「誰でも着られる」と再表示しているだけの場合がある。また、身体線を強調しないためのオーバーサイズ設計は、胸部、肩幅、腰回り、股上、袖丈などの差異を一時的に覆い隠すことはできるが、必ずしも十分な身体適合性を生むわけではない。さらに、無装飾、直線、細身、平面性が「中立」とされるとき、その中立は特定の身体を暗黙の標準にしている可能性がある。したがって、Code-Diffusing は、身体差を消去する理念ではなく、身体差を性別カテゴリーに還元せずに扱う設計と結びつく必要がある。

Code-Switching と Code-Diffusing の違いは、自由の置き方の違いでもある。Code-Switching は、見られること、記号を引き受けること、解釈を揺さぶることによって自由を作る。そこでは、ドレスやスーツのような強い記号が、誰の身体に属するものかを問い直す。Code-Diffusing は、過度に読まれないこと、性別を説明し続けなくてよいこと、日常のなかで目立ちすぎずに選べることによって自由を作る。そこでは、性別記号を薄めることが、危害回避と心理的安心に結びつく。

この二つの戦略は、優劣ではなく使い分けとして考えるべきである。ランウェイ、写真、舞台、サブカルチャー、祝祭的な場面では、Code-Switching が規範の恣意性を強く可視化する。一方、通勤、通学、医療機関、買い物、家族生活のような場面では、Code-Diffusing が生活上の摩擦を減らす場合がある。さらに同じ個人であっても、ある日は記号を強く使い、別の日には記号を薄めたいことがある。自由とは、一つの正しいユニセックス像を強制することではなく、身体、心理状態、社会的リスク、場面に応じて複数の戦略を選べることである。

以上の枠組みから、本稿はユニセックスを「性別記号の消去」としてだけでなく、「性別記号の再配列」としても分析する。衣服が自由をもたらすためには、記号を移動させる表現の力と、記号を薄める日常的な使いやすさの双方が必要である。しかし、どちらの戦略も、被服人間工学、被服心理学、制度設計と切り離されれば、実用的自由には到達しない。以後の章では、この二つの戦略が歴史、ファッション実践、身体適合性、心理的ウェルネス、制度と市場のなかでどのように働くかを検討する。

3. ファッション史:性のコードは移動する

本章の目的は、男性的または女性的とされる服飾記号が、自然で不変の分類ではなく、歴史的に移動してきたことを示す点にある。現代の服飾文化では、スカート、ヒール、レース、細いウエスト、装飾的な脚部表現が女性的記号として読まれやすい。他方で、スーツ、軍服、硬い肩線、低彩度の色彩、実用的な靴は男性的記号として読まれやすい。しかし、これらの読みは服飾そのものに本質的に内在するものではない。時代、階級、権力、労働形態、産業構造、市場の分類によって、記号の意味は変化してきた。本章では、ヒール、脚部装飾、近代男性服、日常服の拡散を通じて、性別コードの移動可能性を示す。

この移動可能性を示す第一の例がハイヒールである。現代のハイヒールは、しばしば女性的な美、脚線の強調、フォーマルな装い、性的魅力と結びついて語られる。しかし、ヒールの歴史を直線的に「女性的装飾」の歴史としてのみ理解することはできない。本稿では、Semmelhack を高い靴の文化史に関する背景文献として位置づけ、個別の歴史記述は博物館系解説に依拠する。Google Arts & Culture と Swiss National Museum の解説は、ヒールをペルシア騎兵の機能的履物、欧州宮廷における男性上流階級の地位記号、近代以降の女性的魅力の記号という複数の文脈を移動してきた服飾要素として整理している(Bass-Krueger; Schlup)。本稿では、起源や伝播をめぐる単一の系譜を確定するのではなく、類似する形態や身体効果をもつ服飾要素が、時代、階級、性別表象に応じて異なる意味を帯びてきたことを確認する。ここで重要なのは、現代のハイヒールと近世宮廷のヒールを同一物として扱うことでも、ルイ14世の装いを現代の服装規範へ直接移すことでもない。むしろ、ヒールという形態が、ある時代には乗馬技術、男性的権威、貴族的特権を担い、別の時代には女性的魅力を担いうるという、服飾記号の意味変化そのものである。1

脚部装飾も同様である。現代社会では、脚を見せることや脚線を整えることは女性的な装いと結びつきやすい。しかし、近世の男性貴族の装いでは、脚部は権力、優雅さ、身体管理を示す重要な部位であった。絹のストッキング、膝丈のブリーチズ、装飾的な靴、ヒールは、身体の一部を隠すよりも、社会的地位にふさわしい身体として見せるための装置であった。Google Arts & Culture と Swiss National Museum の解説が、ルイ14世の赤いヒールや、宮廷においてヒールが貴族的特権・男性上流階級の地位記号として用いられたことを整理している点は、この脚部表現の歴史的文脈を補助的に示す(Bass-Krueger; Schlup)。このように、同じ身体部位への注目であっても、それが女性性の記号になるか、男性的権威の記号になるかは歴史的文脈に依存する。

欧米近代の都市中間層・職業服の文脈では、男性服は相対的に暗色、簡素、直線性、職業的信頼性へ寄せられていった。J. C. Flügel が「大いなる男性的放棄」と呼んだ議論は、近代男性服が装飾性を抑制し、有用性や節度を強調する方向へ再編されたことを説明する古典的枠組みである。ただし、この枠組みはすべての地域・階級・人種・性的少数者の装いを一括して説明するものではなく、Chapin が指摘するように、十八世紀から十九世紀にかけての様式変化と、その後のファッション史叙述が女性服を「ファッション」の中心として位置づけた過程を区別して扱う必要がある(Flügel, The Psychology of Clothes; Chapin)。これに対して、女性服には装飾性、色彩、身体線、流行変化がより強く割り当てられた。もちろん、この区分は階級、地域、職業によって異なり、一枚岩ではない。それでも、近代的な市民社会、産業化、性別分業、小売制度は、男性服と女性服を異なる売場、異なるサイズ表、異なる身体理想へ分配していった。Crane は、服装が階級、ジェンダー、社会的役割の変化と結びついてきたことを論じており、衣服が社会秩序の反映であると同時に、その変化の媒体でもあることを示している(Crane, Fashion and Its Social Agendas, chs. 1, 3-4)。また Wilson は、ファッションを近代性、都市生活、身体、アイデンティティ、反抗的装いと結びつく文化形式として捉え、衣服が同一化と逸脱の双方を可能にすることを論じている(Wilson, Adorned in Dreams, chs. 2, 6-7)。

この歴史的視点は、現代のユニセックス・ファッションを理解するうえで重要である。もし男性的記号と女性的記号が不変の自然分類であるなら、性別を越えた衣服の着用は単なる逸脱としてしか理解されない。しかし、記号が歴史的に移動してきたものであるなら、現代のユニセックスは、すでに移動してきたコードを再び移動させる実践として理解できる。男性として読まれやすい身体にヒールやレースを重ねること、女性として制度的位置づけられる人物に軍服的構造や権威的スーツを重ねることは、服飾史の外部にある奇抜な例外ではない。それは、服飾記号が本来もっている移動可能性を、現代の身体と制度のなかで再作動させる行為である。

この点で、ファッション史は Code-Switching の理論的根拠の一つを与える。Code-Switching は、単に性別記号を混ぜるだけではない。それは、「この服は本来この性別に属する」という主張が歴史的に作られたものであることを、視覚的に示す。服飾記号が誰のものとされるかという境界が歴史的に変化してきたならば、現在の境界もまた再検討の対象になりうる。ここでいう再検討は、過去への単純な回帰ではない。ルイ14世がヒールを履いたから現代男性も同じ意味でヒールを履くべきだ、という議論ではない。そうではなく、ヒールを含む服飾記号が担う意味が時代と制度に応じて変化してきたという事実が、現代の再配列を正当な文化的実践として理解させるのである。

同時に、歴史的移動は Code-Diffusing にも関わる。Tシャツ、ジーンズ、スニーカー、パーカーのような日常服は、現在では男女を問わず広く着用される。しかし、これらもまた、労働、軍事、スポーツ、若者文化、量産小売、グローバル市場のなかで意味を変化させてきた服飾である。たとえばTシャツは、肌着としての機能性と軍事・量産小売の文脈を経て、外衣としての日常性を獲得した服飾として整理できる(Volsing; Cole)。ジーンズは、労働着、西部表象、若者文化、ファッション産業の文脈を横断してきた衣服として整理される(PBS American Experience, Riveted)。スニーカーは、19世紀のゴム底靴とスポーツ用履物から、20世紀以降の量産、競技、都市文化、若者文化、ファッションへ展開した(Tikkanen; Design Museum Den Bosch)。パーカーも、スポーツウェア、大学衣料、日常服、ミュージアムのデザイン対象へ再文脈化されてきた服飾として位置づけられる(Champion; MoMA, “Hooded Sweatshirt”; MoMA Design Store)。2 ある時代に特定の性別、階級、職業、年齢層に結びついていた服が、別の時代には日常的なベーシックとして拡散する。この拡散は、性別記号を完全に消すわけではないが、少なくとも特定の服を特定の性別だけの所有物として扱う力を弱める。

したがって、ファッション史から導かれる本章の主張は明確である。性別コードは本質ではなく、移動可能な記号である。ユニセックスの自由とは、必ずしも性の記号をなくすことだけではない。過去に権力、階級、労働、身体美、実用性のあいだを移動してきた服飾記号を、現代の身体、生活、心理的安全、制度へ再配置することも、自由の重要な方法である。

4. Code-Switching:性別コードを再配置する実践

Code-Switching は、性別記号を薄めるのではなく、強い記号として用い直す実践である。ここでは、ドレス、レース、ヒール、フリル、ロマンティックな装飾、軍服的構造、テーラリング、ワークウェアなどが、従来とは異なる身体や場面へ移される。したがって、この実践の核心は「男性が女性服を着る」または「女性が男性服を着る」という表面的な反転に尽きない。むしろ、服飾記号が誰のものとされるかという境界を組み替え、性別コードが自然なものではなく、社会的に反復される配置であることを可視化する点にある。

現代ファッションにおける代表的な事例として、Palomo Spain のようなブランドを挙げることができる。同ブランドは、メンズウェアの文脈に、ドレス、レース、刺繍、ヒール、歴史衣装的なシルエット、ロマンティックな装飾を導入してきた(Satenstein; Jordan; Stansfield)。ここで提示される男性像は、従来のスーツ、スポーツウェア、ミリタリー、ストリートウェアに限定されない。男性的に読まれる身体は、装飾され、柔らかく見せられ、舞台的で、時に幻想的である。これは男性性の否定というより、男性性の表現領域を拡張する実践である。

Code-Switching において重要なのは、記号が誰のものとされるかである。ドレスやレースが女性のもの、スーツや軍服的構造が男性のものとして扱われるとき、衣服は選択肢である前に境界線になる。その境界は、誰が何を着ることが許されるか、誰が違和感なく公共空間に立てるかを左右する。Code-Switching は、この境界を揺さぶる。男性として読まれやすい身体がドレスを着ること、女性として制度的位置づけられる人物が権威的テーラリングをまとうことは、単なる奇抜さではなく、記号の配分を再交渉する行為である。

この再交渉は、ランウェイや物語上の異性装だけでなく、日常的な売場横断にも現れる。ここでいう異性装とは、ある社会で特定の性別に割り当てられやすい衣服・髪型・装身具を、別の性別として読まれる身体や役割へ移す実践を指す。たとえば女性のマニッシュまたはメンズライクな着装は、女性として社会的・制度的に位置づけられる着用者へ男性的コードを移す実践である。ここでいうマニッシュまたはメンズライクとは、テーラードジャケット、シャツ、スラックス、ワークウェア、直線的なコート、ローファーなど、男性服として制度化されてきた形や素材を女性の着装へ取り込むスタイルを指す。Vogue Japan や FASHIONSNAP が紹介する女性によるメンズアイテムの着用例は、テーラリング、直線的シルエット、ワークウェアの所有境界を日常服のなかで緩める事例である(Hashida; FASHIONSNAP)。第6章で述べるように、こうした売場横断は身体適合性の問題を伴うが、本章で重要なのは、ジャケット、パンツ、シャツ、ワークウェアが女性として読まれる着用者へ移るとき、男性的権威や実用性の記号が再配置されるという点である。

同様に、男性がレディースアイテムを用いる実践も、Code-Switching が日常服の範囲で観察される例である。The Guardian が報じる男性によるウィメンズウェア購入例では、レースやドレスのような強い記号だけでなく、色、素材、丈、股上、身体を引き立てるカットの選択が問題になっている(Teasdale)。本章では、この事例を、市場動向の頻度推定ではなく、ウィメンズ市場に蓄積された素材やシルエットが男性として読まれる着用者へ移されるとき、性別コードの所有境界が再配置される例として扱う。身体寸法やフィットの詳細は第6章で扱う。

この再交渉は、日本の漫画、アニメ、ゲームの表象にも確認できる。作品における人物設定とコード分析は同一ではない。人物設定は、物語内での身分、職能、呼称、衣装として示される事実である。これに対しコード分析は、そうした事実がどの性別記号をどの身体や制度的位置へ移しているかを読む作業である。この区別に立つと、日本のサブカルチャーにおける異性装やアンドロジナスなスタイル、すなわち男性的・女性的記号が一方向に確定しにくい外見や振る舞いは、Butler のパフォーマティヴィティ論、Darlington の少女漫画・少女アニメにおける異性装とキャンプ3の分析、Ho の男装およびジェンダーレス・スタイル研究を踏まえ、性別記号の反復と再配置として理解できる(Butler, Gender Trouble; Darlington; Ho)。

たとえば『海月姫』の鯉淵蔵之介は、原作第1巻第1話において女装姿で月海と出会い、天水館で男性であることが判明する人物として描かれる。JFDB の映画版作品紹介も、同作を「オタク女子」と「女装男子」の交流として説明し、蔵之介を「女装美男子」として紹介している(東村『海月姫』第1巻第1話; JFDB「海月姫」)。本稿の観点では、蔵之介は作品内で男性として設定される人物にドレス、メイク、ウィッグ、華やかな振る舞いを重ね、女装を隠蔽ではなくファッションの技術として用いる人物である。

『ベルサイユのばら』のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは、公式紹介において、将軍家の末娘でありながら跡取り「息子」として育てられた「男装の麗人」とされる(池田『ベルサイユのばら』第1巻; 劇場アニメ『ベルサイユのばら』公式サイト)。本稿では、ここに女性として出生・設定された人物への軍服、剣、近衛隊長、家督という男性的権威コードの移植を見る。

『少女革命ウテナ』の天上ウテナについて、VIZ Media は、ウテナが大鳥学園の決闘へ巻き込まれ、自らが待ち望んだ王子になれるかという問いを紹介している(さいとうちほ・ビーパパス『少女革命ウテナ』第1巻; VIZ Media, “Revolutionary Girl Utena”)。この「王子」は単なる服装ではなく、救済者・主体・決闘者の物語コードであり、少女の身体へ移植される男性的役割である。

ゲーム作品では、コードの切り替えが操作や制度的通行と結びつく場合がある。『ファイナルファンタジーVII リメイク』におけるクラウド・ストライフのドレス着用は、男性主人公がティファ救出とコルネオの館への接近のため、ウォール・マーケットで女性的装いを身につけ、見られ審査される身体へ一時的に再配置される場面である。ここでは、女性的装いは装飾ではなく、物語を進めるための通行証として働く(Square Enix『ファイナルファンタジーVII リメイク』PlayStation 4日本語版、チャプター9「欲望の街」; Espineli and Hornshaw)。

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』におけるリンクのゲルド装束も、性別コードが空間アクセスの条件になる例である。メインチャレンジ「潜入!男子禁制の街」では、男性の入場が禁じられたゲルドの街へ入るため、リンクは女性用として扱われる装束を身につける。ここでは服は装飾であるだけでなく、制度的な境界を通過する鍵でもある(Nintendo『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』Nintendo Switch日本語版、メインチャレンジ「潜入!男子禁制の街」; Zelda Wiki, “Forbidden City Entry”)。

Code-Switching の強みは、規範の恣意性を可視化できる点にある。日常の服装規範は、繰り返されるほど自然に見える。男性が暗色のスーツを着ること、女性がスカートを履くこと、フォーマルな場で身体を異なる方法で整えることは、しばしば説明を必要としない慣習として扱われる。しかし、その記号が別の着用者や役割に移されると、見る側はなぜそれを違和感として読むのかを問わざるをえなくなる。したがって、Code-Switching は、ファッション写真、ランウェイ、舞台、音楽、クラブカルチャー、サブカルチャーと相性がよい。これらの場では、強い視覚的差異が、規範の検討を促すからである。

しかし、Code-Switching には限界もある。第一に、日常生活、職場、学校、冠婚葬祭では、強い記号の再配列が制度的制裁や社会的摩擦を招きやすい。見る側の解釈を揺さぶる力は、着用者にとっては視線、不安、説明負担、ハラスメントのリスクにもなりうる。第二に、高価格帯のランウェイや芸術的文脈に閉じると、それは象徴的には自由であっても、生活上の選択肢にはなりにくい。第三に、身体適合性が伴わない場合、記号としては解放的であっても、着用者の身体には不自由な服になる。肩幅、胸囲、腰回り、股上、胸部支持、下着構造が適切に扱われなければ、再配列は実用的自由に結びつかない。

したがって、Code-Switching を評価する際には、視覚的な挑発性だけでなく、着用適性、すなわち身体適合性、安全性、耐久性、場面適合性を含む実際に着用できる性質を考慮する必要がある。強い記号を別の着用者や場面へ移すことは、性別コードの自然性を疑わせる重要な実践である。しかし、その自由が一部のモデル、芸能人、ランウェイ、物語世界に限定されるなら、日常の衣服環境を十分には変えない。Code-Switching が実用的自由になるためには、価格、サイズ、素材、場面、制度上の許容が同時に整備されなければならない。

本章の結論は、Code-Switching が、ジェンダーを消すのではなく、ジェンダー記号を再配置することで自由を作るという点にある。その価値は、ドレスやスーツそのものにあるのではない。それらが誰の身体に属するとされ、誰が着ると逸脱として扱われるのかを問い直す力にある。性別コードが歴史的・社会的に構成されたものであるなら、Code-Switching は、その構成を見えるものにし、再構成の可能性を開く実践である。

5. Code-Diffusing:性別コードを希釈する実践

Code-Diffusing は、性別記号を強く切り替えるのではなく、薄め、拡散し、日常生活のなかで男女二分的な読みを弱める実践である。典型的には、パーカー、Tシャツ、スウェット、スニーカー、デニム、ワイドパンツ、ミニマルなアウター、直線的なコート、装飾の少ないバッグなどが用いられる。これらの衣服は、着用者を明確に男性的または女性的に見せるよりも、身体線を強調しにくくし、強い性別記号を後景化する。したがって、この戦略は、表現の拡張というより、日常における摩擦の低減に向いている。

Code-Diffusing の利点は、利用可能性の高さにある。ドレスやヒールのような強い記号を既存とは異なる着用者や場面へ移す Code-Switching 型の実践は、規範の恣意性をよく見せる一方で、場面によっては着用者に大きなリスクを負わせる。これに対して、パーカーやスニーカーのような服は、学校、職場、移動、買い物、余暇に持ち込みやすい。着用者は、過度に男性的または女性的に見られることを避けながら、比較的少ない説明負担で社会空間に入ることができる。ウェルネスの観点から見れば、この「目立たなさ」は消極的価値ではない。視線や詮索を減らし、身体感覚を安定させることは、日常生活を送るうえで重要な利益である。

市場においても、Code-Diffusing はしばしばベーシックな商品群として現れる。Zara の “Ungendered” コレクションは、Tシャツ、スウェット、デニムのような基本的アイテムを中心に、性別を強く示さない売り方を試みた事例として知られる。しかし、この試みは、単にメンズウェア的なベーシックをアンジェンダード(ungendered)、すなわち性別化されていないものとして再表示しただけではないかという批判も受けた(Hall; FashionUnited)。この批判は、Code-Diffusing の根本的な難点を示している。性別記号を薄めることが、実際には男性服の標準化を意味するなら、それは中立ではなく、別の偏りを隠した標準化にすぎない。

Vogue Business が2023年時点で紹介した Gucci MX のようなオンライン上のジェンダー・フルイドな売場は、商品を男性用または女性用の二分法だけで分類しない試みとして重要である。Vogue Business は、Gucci の “MX” タブをオールジェンダーに焦点を当てた売場例として紹介し、既存小売が性別二分法に基づく売場、在庫、サイズ、検索導線をどのように組み替えるかを課題としている(Binkley)。ジェンダー・フルイドとは、性別表現や自己理解が固定的な男女二分法に収まらず、状況や時間によって変化しうる状態を含む語である。こうした売場設計は、顧客が自分を男性用または女性用の売場へ入れる前に、衣服の形、サイズ、素材、見え方から商品を探す余地を広げる。ただし、売場名を変えるだけでは十分ではない。商品番号、在庫管理、サイズ表、モデル写真、返品制度、検索フィルターまでが性別二分法を前提にしていれば、実際の選択肢は制限される。

このような売場設計やブランド表現に共通するのは、特定の性別へ商品を帰属させる前に、形、用途、価格、素材、シルエットから選ばせようとする方向である。ここでの「誰にでも」は、単なる平均化であってはならない。特定の性別コードへ強く固定されないデザインと、実際のアクセス可能性が結びついていなければ、普遍性の表明は広告上の標語にとどまる。ただし、この種の普遍性も、誰の身体、誰の生活、誰の経済条件を標準にしているのかを常に問われる必要がある。

日常的な Code-Diffusing は、明示的にジェンダー・ニュートラルとして売られる商品だけでなく、第4章で見た売場横断にも現れる。女性がメンズのシャツ、スウェット、デニム、ジャケットをオーバーサイズまたは直線的シルエットとして取り入れる場合、それは男性的記号を強く演じる実践であると同時に、女性として読まれる着用者の身体線を強調しすぎない着装としても機能しうる(Bourne)。男性がレディースのジーンズ、ニット、タンクトップ、シャツを選ぶ場合も、ドレスやヒールを男性として読まれやすい身体へ移す強い Code-Switching とは異なり、日常服の範囲内で男性的コードを少しずつ薄める選択肢になりうる(Teasdale)。ここで重要なのは、同じ売場横断が、第4章では性別コードの再配置として、第5章では性別コードの希釈として読めるという点である。身体寸法・股上・袖丈・ポケット容量などの適合性は、次章で被服人間工学の問題として検討する。

Code-Diffusing 型の商品設計が単一のベーシック服へ縮減される場合、「誰でも着られる」という主張は「誰の身体にも十分な身体適合性をもたない」状態へ転化しうる。既製服のフィット研究、衣服圧・運動機能性研究、およびジェンダー・ニュートラル衣服のサイズ問題に関する市場報道を合わせると、直接実証された最適解ではなく、設計時に確認すべき評価項目として次のことがいえる(中尾; 三野; 伊藤; Shoaib; Reilly et al.; Jones et al.)。オーバーサイズ化は、胸部、腰、肩、腹部、腕、股上の差を覆い隠す簡便な方法である。しかし、身体寸法に対して衣服寸法にどの程度余裕をもたせるかを示すゆとり量、肩線、股上、クロッチ、すなわち股部・股ぐり周辺の構造、袖丈や裾丈は、着衣快適性と動作を左右する。したがって、単一のオーバーサイズ化を解決策とみなすのではなく、暑さ、重量感、身体部位の見え方、座位、歩行、排泄、運動時の不快が生じないかを、着用者評価と実着用評価で確認する必要がある。性別記号を薄めるための衣服形態が、身体に対する別の負担を生むのであれば、それは自由として不十分である。4

また、市場報道と当事者証言で指摘される一部のジェンダー・ニュートラル衣服では、細身で平面的な身体が暗黙の標準になりやすい(Shoaib; Reilly et al.; Jones et al.)。装飾を減らし、直線的にし、身体線を消すという美学は、胸部や腰の立体性が少ない身体には比較的高い身体適合性を示しやすい。しかし、身体に曲線や大きなサイズ差がある場合、その服は「中性的」ではなく身体適合性を欠くものになる。ここで問題なのは、身体差が存在することではない。身体差を男女という粗い分類にだけ押し込むこと、あるいは中性という名のもとで見えなくすることが問題なのである。

日本のサブカルチャーにおける性別不明または曖昧なキャラクターは、Code-Diffusing の別の側面を示す。以下の作品例は、商品設計としての Code-Diffusing ではなく、性別読解を保留・拡散させる表象上の Code-Diffusing を示す補助例として扱う。これらの人物では、女性的記号を男性として読まれやすい身体へ、あるいは男性的記号を女性として制度的位置づけられる人物へ移す反転よりも、職能、制服、身体変容、呼称の曖昧さによって性別読解が保留される点が重要である。

『進撃の巨人』のハンジ・ゾエについては、原作では調査兵団の研究者・指揮官としての職能が前景化する(諫山創『進撃の巨人』第5巻「特別作戦班」および第21巻「白夜」以降)。補助資料として ABEMA TIMES は、作品情報の解説において、ハンジの年齢・性別は公表されていないと説明している(ABEMA TIMES「アニメ『進撃の巨人』ハンジは死亡?」)。本稿は、原作で前景化する軍服、巨人研究、兵団指揮という職能記号を一次資料として扱い、性別非公表という整理は補助資料に基づく受容上の整理として扱う。そのうえで、前者の職能記号が性別読解を後景化していると考える。

『ソウルイーター』のクロナについては、原作第2巻の読解として、クロナが魔剣士、メデューサに従う子供、魔剣ラグナロクおよび黒血と結合した身体として描かれる一方、男性または女性として確定する設定は前景化されない(大久保篤『ソウルイーター』第2巻)。SQUARE ENIX の「ソウルイーター 2」書籍情報は、第2巻の公式書誌情報と、魔剣の登場を中心とする巻紹介を確認する資料として用いるにとどめ、クロナの性別不詳性を公式設定として直接確認する根拠にはしない。クロナを「性別不詳」とする整理は、Anime & Manga Stack Exchange や Soul Eater Wiki などの補助資料に見られる受容上の整理として扱う(Anime & Manga Stack Exchange; Soul Eater Wiki)。この事例では、一次資料から確認できる魔剣・黒血・身体変容の描写と、補助資料に基づく受容上の性別不詳性を分けて扱う。黒い衣服、ラグナロクとの結合、黒血をめぐる身体変容は、男装・女装の単純な反転よりも分類不能性を強く示す。

『古見さんは、コミュ症です。』の長名なじみについては、テレビ東京アニメ公式サイトが「性別不明」とし、中学時代は男子制服、高校では女子制服であると説明する(オダトモヒト『古見さんは、コミュ症です。』第1巻コミュ9「幼なじみです。」; テレビ東京「長名なじみ」)。この事例では、なじみは男子制服と女子制服を通過しながら、性別を確定しないまま関係性を形成する。これらは日常服のミニマル化とは異なるが、性別記号を一つの身体や呼称へ固定しない点で、Code-Diffusing の実践といえる。

以上から、Code-Diffusing は否定されるべきものではない。むしろ、その日常性こそが大きな価値である。強い表現を望まない人、職場や学校で安全性を確保したい人、性別として読まれすぎることを避けたい人にとって、性別記号を薄める服は重要な選択肢になる。ただし、その自由は記号の希釈だけでは完成しない。サイズ体系、パターン設計、すなわち衣服形状を型紙として構成する設計、素材、売場分類、検索方法が身体差を精密に扱うとき、Code-Diffusing ははじめて「誰でも着られる」という理念に近づく。

6. 被服人間工学とフィット:自由は身体に制約される

ユニセックス・ファッションを実用的自由として考えるとき、最大の難所は被服人間工学とフィットである。被服人間工学とは、人間工学を衣服と身体の関係へ適用し、身体寸法、姿勢、動作、衣服圧、支持、温熱感、着脱性、歩行、座位、排泄、洗濯、耐久性などを考慮して、衣服を身体に適合させる設計領域を指す。既製服の設計における人間工学的配慮は、体型・身体寸法への適合、サイズ展開、身体運動への適応、着用上の利便性や安全性を含む問題として論じられてきた(中尾「量産衣服における人間工学的配慮」)。

ここでいうフィット、すなわち身体適合性とは、衣服の寸法・形状・支持・ゆとり量が、着用者の身体寸法、姿勢、動作、着用目的にどの程度適合するかをいう。衣服圧とは衣服が身体表面に及ぼす圧力であり、運動機能性とは衣服が歩行、屈伸、腕上げなどの日常動作を妨げない性質である。着衣快適性とは、熱・湿気・接触・衣服圧などによる快不快を含む、衣服着用時の総合状態を指す。

衣服圧は着衣快適性と身体への影響を評価する重要な要因であり、国内の被服学研究でも、快適な被服圧、拘束衣服の圧力、支持衣服の整容効果と不快感が検討されてきた(三野「快適な被服圧」; 伊藤「衣服の快適性・健康」; 伊藤・山田「拘束衣服着用時の被服圧と着衣効果」)。Reilly, Catalpa, and McGuire は、既製服のフィットがトランスの人々の衣服経験を大きく左右し、身体のどの部分を隠したいか、どの部分を強調したいかという希望とも結びつくことを示している(Reilly et al.)。

ユニセックスの議論では、記号や表現に注目が集まりやすい。しかし、衣服は最終的には身体に触れ、身体を動かし、身体を支え、身体を社会空間へ運ぶ道具である。したがって、記号上は自由に見える服であっても、身体適合性を欠けば、着用者にとっては不自由な服になる。「誰でも着られる服」という表現は魅力的であるが、身体差を無視して単一のパターン、すなわち型紙や単一の中性サイズへまとめるなら、それは「誰にも十分な身体適合性をもたない服」になりうる。

この問題は、トランスジェンダーやジェンダー・ダイバースな人々だけに限定されない。第4章と第5章で見た売場横断は、被服人間工学の観点から見ると、性別記号の移動であると同時に、既存サイズ体系への実務的な応答でもある。文化記事では、女性がメンズ売場でシャツ、ジャケット、ジーンズ、スウェットを選ぶ理由として、丈、肩幅、袖丈、量感、価格、品質が挙げられる(Hashida; FASHIONSNAP; Bourne)。男性がレディースのタンクトップ、ジーンズ、トラウザーズ、ニット、シャツを選ぶ場合にも、メンズ売場に少ない色、素材、丈、股上、アームホール、身体を引き立てるカットが理由になりうる(Teasdale)。以下の部位別課題は、これらの記事が示す個別事例に加え、JIS の男女別表示部位、UNIQLO の商品寸法とヌード寸法の区別、既製服フィット研究から導く設計上の論点である。5

しかし、売場横断はただちに身体適合性を保証しない。女性がメンズシャツやメンズジャケットを着る場合、商品設計によっては、肩幅、袖丈、着丈、首回り、胸部の立体性、ウエストの絞りで不一致が生じうる。メンズパンツでも、ウエストに合わせるとヒップや太ももが不足し、ヒップに合わせるとウエストが余る場合がある。股上、クロッチ、裾丈も問題になる。ただし、これはすべてのメンズ商品に当てはまるものではない。オーバーサイズを意図する場合、それは Code-Diffusing として機能しうるが、肩線の落ち方、袖丈、裾丈、股上が身体動作を妨げないかを確認する必要がある。

男性がレディースアイテムを着る場合も同様である。商品設計によっては、レディーストップスで肩幅、胸囲、袖丈、アームホール、着丈が不足し、意図しない圧迫や動作制限を生む場合がある。レディースパンツは、股上、ヒップ、太もも、裾丈、ポケット容量、伸縮素材の使い方がメンズと異なるため、メンズ売場が想定する身体型に対しては短すぎる、浅すぎる、細すぎる、または特定部位だけ余るという問題を起こしうる。ただし、これもすべてのレディース商品に当てはまるものではない。一方で、短めの丈、ハイライズ、曲線的カット、伸縮素材、色彩、素材感が、男性にとって望ましいシルエットを作る場合もある。したがって、「レディースだから不適合」「メンズだから中立」と断定するのではなく、身体寸法、衣服寸法、望むシルエットの対応として評価する必要がある。

サイズ表示そのものも、性別カテゴリーが単なる売場ラベルではないことを示している。一般財団法人カケンテストセンターは、JIS L 0111:2006/AMENDMENT 1:2023 にもとづく基本身体寸法として、男子のチェストまたは胸囲、女子のバストまたは胸囲、女子のアンダバストなどを整理している(一般財団法人カケンテストセンター「基本身体寸法、特定衣料寸法の表示」; 日本規格協会「JIS L 0111:2006/AMENDMENT 1:2023 衣料のための身体用語(追補1)」)。この資料から少なくとも確認できるのは、測定部位の設定が男女カテゴリーと結びついているという点である。さらに同センターの品目別表示部位の解説は、男女兼用サイズ表示の基本身体寸法について、製造業者または販売業者が許容範囲とする数値を任意に表示すると説明している(一般財団法人カケンテストセンター「品目別表示部位と順序」)。このため、ユニセックス表示はただちに共通の身体標準を意味せず、商品サイズやパターン設計に接続すると、売場ラベル以上の実務的差異になりうる。UNIQLO のサイズ案内も、商品サイズ、すなわち仕上がり寸法と、ヌード寸法、すなわち衣服を着用していない身体寸法を区別し、同じサイズ記号でもデザインによって着用感が異なるため、両者を併せて確認するよう促している(UNIQLO)。これは、同じサイズ記号や性別売場だけではフィットを保証できない実務的根拠である。

フィット不全は、ジェンダー・ダイバースな消費者だけではなく、小売実務上の消費者経験にも現れる。Vogue Business の消費者サイズ調査の範囲では、服の返品や購入回避の理由としてフィット不全やサイズ不一致が報告され、ジーンズ、トラウザーズ、トップスにおいて、ヒップ、太もも、クロッチ、ウエスト、肩、脇、胸部の不一致が問題化している(Shoaib and Maguire)。この資料は、フィット不全が既製服市場の実務課題として経験されていることを示す補助根拠になる。6

工学的研究も、身体形状と衣服設計の不一致を説明する。Park and Langseth-Schmidt は、女性消防士用パンツの研究において、男性着用者を標準としてきたパンツ設計が女性着用者にヒップ、脚幅、股上のフィット不全を生むことを、3D身体計測と主観評価を組み合わせて示している(Park and Langseth-Schmidt)。これは職業服の研究であり、日常的なマニッシュ服へ直接一般化することはできない。しかし、男性型を標準化した衣服が女性着用者でどの部位に不適合を起こしやすいかを説明する補助証拠として有用である。Ural and Tatman のデニム衣服研究も、胸部、ウエスト、ヒップの幅や狭さの違いがデニムオーバーオールの張力・圧力評価に影響することを示している(Ural and Tatman)。これは、ジーンズやデニムオーバーオールのような日常衣服でも、性別記号以前に身体形状がフィットを左右することを補強する。

下着は、ユニセックスの理念がもっとも強く被服人間工学に直面する領域である。下着は外衣以上に、身体部位、排泄、支持、衣服圧、衛生、性的プライバシーと結びつく。前開き、クロッチ、ブラジャー、バインダー、ガフ、シェイプウェア、吸水ショーツなどは、単に男性用または女性用という分類では説明できない機能をもつ。バインダーとは、胸部を平坦に見せるために用いられる高い衣服圧を伴う衣服である。ガフとは、本稿では外性器周辺の外観を平坦または滑らかに見せるため、タッキング、すなわち外性器周辺のふくらみを衣服下で目立ちにくくする実践を支える下着構造を指す(Deutsch)。シェイプウェアとは、伸縮性と圧迫によって身体輪郭を整える補整下着であり、吸水ショーツとは、吸収層や防漏層によって月経血、尿漏れ、分泌物などを受ける下着型製品を指す(Cleveland Clinic, “A Doctor’s Advice on Wearing Shapewear”; “What Is Period Underwear and Does It Work?”)。これらは着用者の身体像と社会的な見え方を調整する資源になりうるが、衣服圧や摩擦が過度であれば、痛み、皮膚トラブル、呼吸のしにくさ、運動機能性の低下を生む可能性もある。Peitzmeier et al. と Jarrett et al. の横断調査は、胸部バインディングが精神的利益と同時に疼痛、皮膚、呼吸、筋骨格系などの身体症状やケア希求と結びつきうることを示しており、高い衣服圧を伴う衣服を身体安全性を伴う設計課題として扱う必要を示している(Peitzmeier et al.; Jarrett et al.)。ガフやタッキングについては、UCSF の臨床ガイドが皮膚影響、尿路損傷、感染、精巣関連の訴えが起こりうると説明している。ただし、本稿ではガフを機能例として扱い、医学的安全性について一般化しない。7

したがって、ユニセックス設計は、性差を否認する設計ではなく、身体差をより精密に扱う設計であるべきである。既存研究が示すのは、トランスジェンダーおよびジェンダー・ダイバースな人々が、既製服のフィット不全、すなわち身体適合性が不足する状態、望まない身体部位の強調、売場での不快、shopping avoidance8などを経験しやすいという事実である(Reilly et al.; Tullio-Pow et al.; Jones et al.)。本稿では、質的インタビュー研究を主軸にしつつ、少数事例研究は身体部位ごとの具体的なフィット課題と着装戦略を示す補助的証拠として用いる。9

本稿の設計提案は、単一の中性サイズではなく、身体寸法や用途に応じた複数のフィットブロックを検討する方向である。フィットブロックとは、特定の身体寸法、可動域、ゆとり量に合わせて設計された基本型を指す。たとえば、「胸部支持が必要」「胸部を目立たせたくない」「ヒップのゆとり量が大きい」「ヒップのゆとり量が小さい」「股上が深い」「股上が浅い」「肩幅が広い」「肩幅が狭い」といった機能別の選択肢は、男女別よりも着用者の実際の需要に近い可能性がある。ただし、これらは現時点でジェンダー・ニュートラル衣服全体に対して実証された標準仕様ではなく、当事者調査、市場報道、隣接する被服工学研究から導かれる設計仮説として扱うべきである。

素材と副資材、すなわちボタン、ストラップ、パッドなど衣服を構成する補助部材の可変性も、実務上の方向として検討に値する。可変ウエスト、調整可能なストラップ、ストレッチ素材、すなわち伸縮性をもつ素材、複数位置で留められるボタン、可変ガセット、取り外し可能なパッド、袖丈や裾丈の調整、モジュラー部品は、単一の性別カテゴリーに依存しない適合を可能にしうる。ガセットとは、股下や脇下などに挿入される布片で、可動域やゆとり量を確保する構造である。Vogue Business の報道も、ジェンダー・ニュートラル衣服において複数フィット、調整可能性、伸縮性、身体多様性を設計に組み込む必要を指摘している(Shoaib)。ただし、同記事は市場報道であり、可変構造の効果を実験的に検証した研究ではない。調整部品が皮膚接触刺激を生む、洗濯耐久性が落ちる、価格が上がる、外観が医療用品化するなどの問題もありうるため、実装には素材、縫製、価格、修理可能性、実着用評価の検討が必要である。

電子商取引、すなわちインターネット上で商品を売買する仕組みにおいては、サイズ情報の提示が自由を大きく左右する。本稿の情報設計上の提案としては、性別フィルターだけで商品を分けるのではなく、欲しいシルエット、身体寸法、衣服圧の許容度、見せたい部位、隠したい部位、着用場面、洗濯頻度、運動量から選べるようにすることが望ましい。モデル写真も、単一の細身モデルだけでなく、複数の身長、肩幅、胸部、腰回りで示されることが望ましい。サイズ表、モデル情報、返品・交換制度は、単なる販売支援ではなく、身体適合性の高い服を探すための実質的条件である。Binkley は、ジェンダー・フルイドな商品を売るには売場名だけでなく、商品分類、モデル写真、サイズ情報、検索の設計が問題になることを報じている(Binkley)。

ここで注意すべきなのは、被服人間工学を重視することが性別二分法への回帰を意味しないという点である。身体差は存在する。しかし、その差をすべて男性/女性という二つの身体類型に分類する必要はない。むしろ、肩が広い女性、胸部支持を必要とする男性、腰回りに大きいゆとり量が必要なノンバイナリーの人、股上の深さを重視する高齢者、衣服圧を避けたい人、装飾より着脱性を求める人など、身体と生活の組み合わせは多様である。ノンバイナリーとは、自己の性別を男性または女性の二分法だけでは説明しない人々を含む語である。

本章の主張は、ユニセックスの実装が記号論だけではなく、パターンメイキング、すなわち衣服の立体形状を平面の型紙へ展開し、縫製可能な設計へ変換する工程の問題でもあるという点にある。自由は、性別記号を切り替えたり薄めたりするだけでは成立しない。服が疼痛や過大な衣服圧を生まず、運動機能性を確保し、適切に支持し、望まない部位を強調せず、必要な部位を保護し、日常の動作に耐えるとき、はじめて着用者は自分の表現を選ぶ余裕を得る。身体差を消すのではなく、性別カテゴリーに還元せずに身体差を扱う技術こそが、実用的なユニセックスの条件である。

7. 被服心理学:衣服は自己認識・安心感・身体感覚にどう作用するか

衣服は単なる外装ではない。衣服は、自己認識、身体感覚、他者からの認識、社会的安心感を媒介する。何を着るかは、鏡の前で自分をどのように見るか、公共空間でどのように見られると予期するか、身体のどの部位を意識するか、どの程度リラックスして動けるかに影響する。したがって、ユニセックス・ファッションの自由は、選択肢の数だけで測ることはできない。重要なのは、その衣服が着用者にとって身体を否定しないものか、望む記号で読まれる助けになるか、不安やストレスを過度に増やさないかである。本章では、Code-Switching が自己一致感を支えうる条件と、Code-Diffusing が視線や説明負担を減らしうる条件を、心理的ウェルネスの観点から検討する。

被服心理学においてしばしば参照される概念に、エンクローズド・コグニション、すなわち着衣認知(enclothed cognition)がある。エンクローズド・コグニションとは、衣服の象徴的意味と、それを実際に着用する身体経験が、認知、感情、行動に影響しうるという枠組みである。Adam and Galinsky は、衣服が単に外部から見られる記号であるだけでなく、着用者自身の心理にも作用しうることを示した(Adam and Galinsky, “Enclothed Cognition”)。ただし、この議論を過大に扱うべきではない。近年の検討では、エンクローズド・コグニション研究について再現性、出版バイアス、効果量の評価に慎重さが必要であると指摘されている(Horton Jr. et al., “Evaluating the Evidence for Enclothed Cognition”)。

この留保を置いても、衣服が心理的経験と結びつくこと自体は重要である。たとえば、望む職業役割に合う服を着ることは、自己の振る舞いを整える助けになる場合がある。反対に、身体適合性を欠く制服や、自分の性別表現と衝突する服を強制されることは、羞恥、不快、緊張、身体への過剰な注意を生む場合がある。衣服は身体と社会の境界に位置するため、心理的自由は、内面の問題だけではなく、外側の素材、サイズ、規範、視線によって形作られる。

ジェンダー・アファーミングな衣服は、この点をよく示す。ジェンダー・アファーミングとは、本人の性自認や性別表現を肯定し、それに合う身体像や社会的扱いを支えることを意味する。バインダー、シェイプウェア、下着、髪型、メイク、制服の選択、名前や呼称と連動した服装は、トランスジェンダーおよびジェンダー・ダイバースな人々にとって重要な資源になりうる。ここでいうトランスジェンダーとは、出生時に割り当てられた性別と自己の性自認が一致しない人々を含む語であり、ジェンダー・ダイバースとは、性別の自己理解や表現が男女二分法の標準的な期待から多様に異なる人々を含む語である。

Nath et al. による The Trevor Project の2025年調査は、米国の13歳から24歳の LGBTQ+ 若年層16,667人を対象とする自己申告のオンライン横断調査であり、トランスジェンダーおよびノンバイナリーの若年層について、バインダー、シェイプウェア、その他のジェンダーを支える衣服へのアクセスを、本人の性別表現を支える生活環境の一指標として扱っている。同調査では、過去1年に自殺を試みたと報告した割合は、これらの衣服へのアクセスがない層で14%、少数にアクセスできる層で12%、大部分にアクセスできる層で7%であった。同調査の表題で用いられる LGBTQ+ とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアまたはクエスチョニング等を含む総称である(Nath et al.)。

この結果は、疫学的な発生率ではなく、調査回答にもとづく自己申告割合であり、個々の衣服が直接に精神健康を決定するという単純な因果関係として読むべきではない。アクセスがある人は、家族、友人、学校、地域、経済条件など他の支援にも恵まれている可能性がある。また、同調査は、衣服へのアクセスが安全感、自己一致感、社会的承認をどの媒介経路で支えるかを直接検証しているわけではない。したがってこの数値は、衣服単独の効果ではなく、本人の性別表現を支える家庭・学校・地域資源と結びついた生活条件の一部として読む必要がある。それでも、この調査は、米国 LGBTQ+ 若年層のオンライン横断調査の範囲では、ジェンダーを支える衣服へのアクセスが、心理的安全や自己一致感を支える生活条件の一部と関連している可能性を示す。

学校環境についても、Simon et al. は、トランスジェンダーおよびジェンダー・ダイバースな若者のジェンダー・アファーミングな経験を、正しい名前や代名詞で呼ばれること、衣服を通じて本人らしい性別表現ができること、トイレや更衣室を利用できることとして測定しており、衣服が学校での承認経験の一部であることを示している(Simon et al.)。

フィット不全も心理的自由を制限する。Jones et al. は、トランスジェンダーおよびジェンダー・ダイバースな消費者が、身体と既存サイズ体系の不一致により、身体適合性の高いシャツや服を見つけにくい経験を報告していることを示した(Jones et al., “‘I just want a shirt that will fit me!’”)。Reilly et al. も、トランスの人々が衣服のフィット、買い物、身体の見え方をめぐって独自の課題と戦略をもつことを論じており、Tullio-Pow et al. は少数事例研究として同様の課題を具体的なワードローブ面接から補足している(Reilly et al.; Tullio-Pow et al.)。ここでの問題は、単なるサイズ選びの不便ではない。トランスジェンダーおよびジェンダー・ダイバースな消費者においては、フィット不全が、自分の身体が市場の想定から外れているという感覚、shopping avoidance、外出への不安、社会参加上の負担につながりうる。

Code-Switching と Code-Diffusing は、心理的には異なる効用をもつ。Code-Switching は、望む性別表現を可視化し、自分が使いたい記号を自分の身体に取り戻すことによって、自己一致感を支える。ドレス、ヒール、スーツ、軍服的構造、メイク、髪型は、他者に見せる記号であると同時に、本人が自分を認識する手がかりでもある。これに対して、Code-Diffusing は、性別として読まれすぎない安心感を支える。強い記号を出したくない人、職場や学校で安全を優先したい人、身体の一部を目立たせたくない人にとって、記号の希釈は心理的負担を減らす。

どちらが望ましいかは、個人の属性だけで決まらない。同じ人でも、家庭、学校、職場、医療機関、友人関係、旅行先、夜間の移動、冠婚葬祭では異なる選択を必要とする。ある場面では表現を強く出すことが自己肯定につながり、別の場面では目立たないことが安全につながる。したがって、心理的自由とは、常に可視化される自由でも、常に目立たなくする自由でもない。自分の身体状態、心理状態、社会的リスクに応じて、表現の強さと目立たなさの程度を調整できることが重要である。

以上から、ユニセックス・ファッションの心理的価値は、単に「自由な服を着る」ことではなく、「自分の身体が否定されず、望む記号で読まれ、苦痛や制裁を受けにくい」状態にある。衣服は、身体を社会へ提示する媒体であると同時に、自己が身体を引き受けるための媒体でもある。ゆえに、ユニセックスの設計は、外観上の中性化や記号の再配列だけでなく、着用者の安心感、自己一致感、身体感覚、社会参加のしやすさを含めて評価されるべきである。

8. 制度と市場:ドレスコード、法、売場、サイズ表が自由を制約する

ユニセックス・ファッションの自由は、個人の好みやデザインの問題だけではない。衣服は、学校規則、職場ドレスコード、冠婚葬祭の規範、小売店の売場分類、電子商取引サイトの検索フィルター、サイズ表、返品制度、法的保護のなかで選ばれ、着用され、評価される。したがって、服そのものがユニセックスであっても、それを買う場所、着る場所、見られる場所が性別二分法を強く維持していれば、自由は実質化しない。衣服の自由は、個人の勇気だけでなく、制度と市場の設計に依存する。

学校や職場の服装規定は、性別記号を制度的に固定しうる領域である。たとえば職場について、日本労働組合総連合会(連合)の「社内ルールにおける男女差に関する調査2019」は、勤務先に服装や身だしなみの決まりがあると答えた被用者が57.1%であり、そのなかに「男性はネクタイをしなければならない」「女性は化粧をしなければならない」「女性はパンプスを履かなければならない」といった男女で異なる決まりが含まれることを示している(連合「社内ルールにおける男女差に関する調査2019」)。学校については、文部科学省の2014年調査と2015年通知から、少なくとも行政資料上、性同一性障害に係る児童生徒への支援・調整対象として制服・衣服・髪型が扱われてきたことを確認できる。具体的には、自認する性別の制服・衣服の着用を認めること、男子生徒の標準より長い髪型を一定範囲で認めること等が支援例として挙げられている(文部科学省「学校における性同一性障害に係る対応に関する状況調査について」; 文部科学省「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」)。ただし、これらの資料だけから、現在の学校規則全体において性別化された制服・髪型規定がどの程度一般的であるか、またどの程度柔軟化しているかを推定することはできない。10

このような規定や運用は、単なる身だしなみ基準にとどまらず、身体を男性または女性として特定の方法で見せることを求める場合がある。こうした規定が本人の性自認や性別表現と衝突する場合、衣服は規律の道具となり、心理的負荷を生む。さらに、服装規定が柔軟であっても、実際の運用において上司、教員、同僚、顧客が性別規範を強く期待すれば、着用者は説明、隠蔽、我慢、回避を求められる。

日本の職場文脈では、性的指向および性自認に関するハラスメントへの配慮が重要である。性的指向とは、人の恋愛または性愛がどの性別を対象とするかを指す。性自認とは、自分の性別に関する自己認識を指す。性的指向と性自認は、しばしば SOGI と略される。厚生労働省の事業主向けパンフレット『職場におけるパワーハラスメント対策・セクシュアルハラスメント対策・妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント対策は事業主の義務です!』は、職場におけるセクシュアルハラスメントについて、同性に対するものも含まれ、被害を受けた者の性的指向または性自認にかかわらず対象になりうると説明している。また同パンフレットは、性的指向・性自認に関する言動や本人の意に反する暴露であるアウティングが、職場におけるパワーハラスメントの定義要件を満たす場合には該当しうること、性的指向・性自認に関する侮辱的言動が周囲の労働者を傷つけうること、さらにこうした言動がセクシュアルハラスメントやパワーハラスメントの背景になりうることも説明している(厚生労働省『職場におけるパワーハラスメント対策・セクシュアルハラスメント対策・妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント対策は事業主の義務です!』)。加えて、厚生労働省の性的マイノリティに関する理解増進ページの「ハラスメントのない職場に向けて」は、セクシュアルハラスメント防止指針およびパワーハラスメント防止指針において、職場における性的指向・性自認に関する侮辱的言動もハラスメントに当たる一例であることが明記されていると説明している(厚生労働省「性的マイノリティに関する理解増進に向けて」)。このことは、服装規定を個人の趣味の問題としてだけではなく、採用、配置、相談、ハラスメント防止と結びつく雇用環境の問題として扱う必要を示す。

この点から、服装規定や制服運用は、いわゆる SOGI ハラスメントと無関係ではない。ここでいう SOGI ハラスメントは、法令上の独立類型ではなく、性的指向・性自認に関する侮辱的言動や、本人の同意のないアウティングなどを指す実務上の総称として用いる。行政文書上は、これらがセクシュアルハラスメントやパワーハラスメントの定義要件を満たす場合に問題化される。アウティングとは、本人の同意なく性的指向や性自認などを第三者に暴露することを指す。たとえば、ある人が自分の性自認に合う制服を選びたいと申し出たとき、その理由を過度に説明させたり、周囲に本人の事情を知らせたりすれば、衣服の選択はプライバシー侵害の契機になりうる。したがって、制度は「特別扱い」を個別に許可する形ではなく、誰もが複数の選択肢から選べる形に設計されることが望ましい。

米国文脈は、本稿の制度提案の直接根拠ではなく、法的保護と行政解釈が変動しうる例として参照する。雇用機会均等委員会、すなわち Equal Employment Opportunity Commission(EEOC)をめぐる判例上の背景として、連邦最高裁は Bostock v. Clayton County において、連邦公民権法第7編、すなわち Title VII の性差別禁止が、性的指向またはトランスジェンダーであることを理由とする解雇にも及ぶと判断した(Bostock v. Clayton County)。2026年5月13日確認時点で、EEOC の “Prohibited Employment Policies/Practices” も、性に基づく差別にトランスジェンダーであること、性的指向、妊娠が含まれると説明している(EEOC, “Prohibited Employment Policies/Practices”)。一方、2024年に承認された職場ハラスメントに関する EEOC の行政ガイダンスは、2026年1月22日の委員会投票を受け、2026年1月23日に撤回が発表された(EEOC, “EEOC Commission Votes to Rescind 2024 Harassment Guidance”)。同じ EEOC ページのドレスコード節は、使用者が全従業員または職務区分ごとにドレスコードを設定しうることを前提に、国籍、宗教、障害などに関する例外を説明している。そのため本稿では、EEOC の行政ページを、ジェンダー化されたドレスコード全般を直接禁止する根拠としてではなく、米国における保護範囲と行政解釈の変動性を示す補助例として扱う。

本稿の目的は特定国の法的助言ではない。重要なのは、法制度が変動しうるからこそ、組織や市場が過度に硬直した性別規範へ依存しない設計をもつ必要があるという点である。制服、トイレ、更衣室、名札、呼称、顧客対応、採用面接、写真撮影、冠婚葬祭の服装案内は、いずれも衣服選択と社会的安全に関わる。制度上の許容が弱い環境では、ユニセックスな服を選ぶこと自体が本人のリスクテイクになる。逆に、複数の制服型、性別に依存しない身だしなみ基準、相談内容の秘密保持、管理職教育が整えば、個人の負担は大きく減る。厚生労働省委託の令和6年度調査でも、同調査の回答者内では、性的マイノリティが働きやすい職場として「服装・髪型について比較的自由な職場」を挙げた回答が、性的マイノリティ全体で34.6%、性自認におけるマイノリティ全体で38.8%確認されている(厚生労働省委託『令和6年度 職場におけるダイバーシティ調査・推進事業 就労する性的マイノリティ調査結果 報告書』図表78)。この数値は性的マイノリティ全体の需要を代表する統計ではなく、服装・髪型の運用が職場設計上の補助的論点であることを示す根拠として扱う。

小売と電子商取引の設計も、衣服の自由を左右する。多くの売場は、男性用と女性用を入口として商品を分類する。この分類は買い物を容易にする面もあるが、身体や表現が二分法に収まりにくい人にとっては、商品探索そのものを困難にする。店舗では、どの売場に入るべきか、試着室を使えるか、店員にどう見られるかが問題になる。電子商取引では、検索フィルター、サイズ表、モデル写真、商品名、レビュー分類が性別二分法を再生産する。ジェンダー・フルイドな商品を扱うには、売場名を変えるだけでなく、商品番号、在庫管理単位、採寸方法、返品対応までを検討対象にすることが課題となる(Binkley; Shoaib)。

サイズ表は、とくに重要な制度である。男性用のS、M、Lと女性用のS、M、Lは同じ記号であっても寸法が異なる。カケンテストセンターのサイズ表示解説が示すように、男女兼用サイズ表示でも、基本身体寸法は製造業者または販売業者が許容範囲とする数値として任意に表示される(一般財団法人カケンテストセンター「品目別表示部位と順序」)。したがって、ユニセックスという表示は、それだけでは共通の身体標準や実際の身体適合性を保証しない。肩幅、胸囲、ウエスト、ヒップ、股上、袖丈を明示しなければ、着用者は必要なフィットを判断しにくい。さらに、モデルの身長と着用サイズだけでは、胸部、腰回り、肩幅、衣服圧、運動時のゆとり量を判断しにくい。ユニセックス市場が成熟するためには、性別名だけでなく、身体寸法、欲しいシルエット、衣服圧の許容度、着用目的から商品を選べる情報設計が望ましい。

制度と市場の課題は、Code-Switching と Code-Diffusing の双方に関わる。Code-Switching は、強い記号を用いるため、職場や学校での許容範囲に左右されやすい。Code-Diffusing は、一見すると制度と衝突しにくいが、売場やサイズ表が男性服を標準にしていれば、身体適合性を欠く中立性を押しつけることになる。したがって、どちらの戦略も、制度と市場の再設計なしには十分な自由にならない。

本章の主張は、ユニセックス・ファッションの成否がデザインだけでなく制度設計に依存するという点にある。ドレスコード、売場、電子商取引、サイズ表、返品制度、職場のハラスメント対応、学校の制服運用が変わらなければ、衣服の自由は個人の勇気に過剰に依存してしまう。実用的なユニセックスとは、特別な人が特別な努力で選ぶ服ではなく、必要な人が通常の手続きで選び、着用し、社会生活を送れる衣服環境である。

9. 結論:無性化だけでなく、再配列も自由の道である

本稿は、ユニセックス・ファッションを「男性にも女性にも同じ服を着せること」や「性別記号を消去すること」に限定せず、身体、記号、制度の三層にまたがる実用的自由として検討してきた。結論として、ユニセックスの核心は無性化そのものではない。それは、着用者が自分の身体を否定されず、望む程度に性別記号を使い、または弱め、社会生活上の不利益を過度に負わずに衣服を選べる状態を作ることである。

第一に、歴史的検討は、男性的または女性的とされる服飾記号が固定的本質ではなく、時代、階級、権力、市場によって再編されてきたことを示した。第3章で検討したハイヒールや脚部装飾、Tシャツなどにおける事例は、この移動可能性を考えるための補助線である。重要なのは個別史実をここで再確認することではなく、この移動可能性が、現代のユニセックスを単なる逸脱ではなく、既存の記号を別の着用者、生活、市場へ再配置する実践として理解させる点にある。

第二に、記号戦略としてのユニセックスには少なくとも二つの有効な方向がある。Code-Switching は、性別記号を弱めるのではなく、むしろ濃く使い直す。ドレス、レース、ヒール、装飾的シルエット、構築的テーラリングなどを既存の性別カテゴリーから切り離し、異なる着用者や役割へ移すことで、記号が誰のものとされるかという境界を揺るがす。これに対して、Code-Diffusing は、性別記号を希釈し、着用者が過度に男性または女性として読まれない余地を作る。両者は対立しない。前者は表現の幅を拡張し、後者は日常での使用可能性を広げる。自由とは、どちらか一方を標準化することではなく、着用者が場面と身体状態に応じて両方を選べることである。

第三に、被服人間工学はこの自由の不可欠な条件である。「誰でも着られる」という理念は、身体差を無視すると「誰にも十分な身体適合性をもたない」という結果に転化しうる。肩幅、胸囲、ウエスト位置、腰回り、股上、前開き、胸部支持、衣服圧の許容度などは、性別分類だけでは処理できない。とくに下着、制服、ビジネスウェアでは、機能と身体部位が密接に結びつくため、抽象的な中性化だけでは着衣快適性も安全性も保証できない。第6章・第7章で確認したように、特にトランスジェンダーおよびジェンダー・ダイバースな消費者においては、フィット不全が望まない身体部位の強調、不快な衣服圧、買い物回避、社会参加上の負担に接続しうる(Reilly et al.; Jones et al.; Tullio-Pow et al.; Shoaib)。また、Vogue Business の消費者サイズ調査のような、ファッション媒体読者を対象とした市場調査でも、少なくとも同媒体読者調査の範囲では、フィット不全が返品や購入回避の理由として報告されており、小売実務上の重要な課題として扱われている(Shoaib and Maguire)。したがって、実用的なユニセックス設計の方向としては、男女別を単純に廃止することではなく、身体寸法や可動域に合わせた複数のフィットブロック、調整可能な部品、ストレッチ素材、明確な寸法情報を組み合わせる余地が大きい。ただし、これらは現時点で実証済みの一律解ではなく、着用者調査、試作、実着用評価、返品・修理データを通じて検証されるべき設計仮説である。

第四に、衣服は心理的ウェルネスに関わる。第7章で確認したように、衣服は自己認識、身体感覚、他者からの認識、社会的安心感を媒介する。したがって、ユニセックスの心理的価値は、特定の記号を強く示すか薄めるかだけでなく、着用者が自分の身体を否定されず、望む程度に読まれ、羞恥、不安、買い物回避、社会参加上の負担を減らせるかによって評価される。身体適合性を欠く服や望まない記号を強制する服は、特定集団に限らず、誰にとってもウェルネスを損ないうる。

第五に、制度と市場は、衣服の選択を可能なものにも危険なものにも変える。第7章で確認した心理的負荷と、第8章で確認した制度的制約を合わせて見れば、望まない制服や服装規定は羞恥、不安、説明負担を生み、心理的ウェルネスを損ないうる。第8章で見た学校規則、職場ドレスコード、売場分類、検索フィルター、サイズ表、返品制度は、その負担を個人に押しつけるか、通常の選択手続きへ吸収するかを分ける。したがって制度と市場の役割は、性別化された規範を個別の例外許可で処理することではなく、複数の制服型、性別に依存しない身だしなみ基準、秘密保持、寸法にもとづく商品情報を通じて、不要な説明、隠蔽、リスクテイクを減らすことにある。

以上を踏まえると、本稿の主張は次のようにまとめられる。ユニセックスとは、性別記号を消去する無性化だけではなく、既存の性別記号を異なる着用者、場面、制度へ移す再配置を含む実践である。この再配置は単なる逸脱ではない。服飾記号は歴史的に移動してきたものであり、学校、職場、売場、サイズ体系のような制度や市場によって固定も更新もされる。

したがって、ユニセックス・ファッションを実用的自由として成立させるには、個人の勇気や例外的な表現に依存するだけでは足りない。身体適合性を備えた設計、性別に依存しない規範、寸法にもとづく商品情報、選びやすい売場や検索の仕組みが必要である。ユニセックスの核心は、身体を否定せず、記号を固定せず、制度と市場を通じて選択を日常的に可能にすることにある。

参考文献

ウェブ資料の参照日は各項目に記す。ウェブ記事の公開日・更新日は、公開ページで確認できる範囲を記す。

理論・ジェンダー論

ファッション史・市場事例

被服心理学・身体・フィット

制度・法・職場

日本のサブカルチャー・作品事例:先行研究

日本のサブカルチャー・作品事例:一次資料・公式資料

日本のサブカルチャー・作品事例:補助資料